西山太吉国賠訴訟項目一覧
(講演要旨)
最新更新日:2006/5/10
裁判報告(控訴審)
08/2/20 控訴審判決
07/12/3 第3回口頭弁論
07/10/3 第2回口頭弁論
07/7/23 第1回口頭弁論
07/4/9 控訴状提出
裁判報告(一審)
07/4/2 一審判決
06/12/29 第9回口頭弁論
06/11/7 第8回口頭弁論
06/8/30 第7回口頭弁論
06/6/7 第6回口頭弁論
06/3/29 第5回口頭弁論
06/2/24 第4回口頭弁論
05/12/15 第3回口頭弁論
05/10/24 第2回口頭弁論
05/7/9 第1回口頭弁論
西山太吉さん講演要旨
06/5/10 西山太吉さんインタビュー記事
(岩波書店『世界』2006年5月号掲載)
06/2/7 西山太吉さん講演要旨A(2006/1/21 那覇市内)
05/7/14 西山太吉さん講演要旨@(2005/7/14 名古屋マスコミ夜塾の集会
その他
07/4/2 緊急討論会「復帰35年,あらためて問う沖縄返還密約 私たちはどう向き合うべきか 〜東京地裁判決を前に〜」(2007/3/24 那覇市内)の報告
07/3/19 判決前緊急シンポジウム「沖縄密約問題がいま,問いかけるもの」(2007/3/16)の報告
06/3/6 吉野文六氏発言第2弾朝日新聞諸永裕司記者のスクープ(2006年2月24日)〜河野洋平外相(当時)が吉野氏に「密約否定を要請」
06/2/14 吉野文六氏密約認める発言、「毎日」社説が取上げる−密約は5本,その額は2億0700万ドルに切込む報道を!
06/2/10 吉野文六元局長、毎日・朝日新聞にも真実明かす〜大手紙がフォロー
06/2/9 吉野文六元外務省アメリカ局長、遂に真実を明かす
05/10/6 シンポジウム「沖縄密約訴訟が問いかけているもの」開催のお知らせ
西山太吉国賠訴訟
西山太吉さん講演要旨
■西山太吉さんインタビュー記事(岩波書店『世界』2006年5月号掲載)
「密約」がいまの日米関係の起点だった─沖縄返還交渉という虚像

西山太吉(にしやま・たきち)
1931年生まれ。慶応大学大学院修士課程修了後、毎日新聞社入社。経済部、政治部などに在席。72年、外務省密約取材をめぐって国家公務員法違反容疑で逮捕され、一審無罪の後、最高裁で有罪が確定した。
聞き手=田島泰彦(たじま・やすひこ)
1952年生まれ。上智大学文学部新聞学科教授。憲法、メディア法。共編書に『情報は誰のものか』『「イラク」後の世界と日本』など。


吉野証言の核心─「密約」はいかに生まれたか

 田島 いま沖縄返還についての「密約」をめぐって、いろいろな動きが出ています。西山さん自身が、2005年4月にかつての事件の真相を明らかにし、自分に対してなされた起訴などの不当違法性を糾すべく、国を相手取り国家賠償訴訟を提起された。
 西山さんが当時スクープで明らかにした密約、すなわち沖縄が返還されるに際して米軍が取り上げた土地の原状回復費400万ドルは、条約の中ではアメリカが自発的に払うことになっているが、実は日本が肩代わりするということか日米間で密かに取り決められていたという事実は、後に横路孝弘さんも国会で追及した。
 しかしその後、きわめて奇異なことに、逆に密約を報じた西山さん、そして西山さんに情報を提供した外務省の女性事務官が国家公務員法の秘密漏洩罪とそそのかし罪で起訴され一審段階で事務官は有罪となりました。西山さんは一審では無罪でしたが、高裁で逆転有罪になり、それが最高裁でも維持されることになってしまった。
 ところが2000年5月、我部政明琉球大学教授と朝日新聞が入手した米国公文書によって、その密約が事実だったことか明らかになった。その2年後にも密約を示す別の公文書がアメリカで明らかにされましたが、この2月、今度は当時の沖縄返還交渉の日本側の最高責任者であった吉野文六元外務省アメリカ局長が、北海道新聞のインタビューに応じて密約を明確に認める発言をし、それを共同通信、毎日新聞、朝日新聞と全国紙も追いかけていく展開になりました。
 この吉野元局長の新たな証言をどう受け取られましたか。

 西山 各紙のインタビューを全部読んで総合的に言えるのは、吉野氏は沖縄返還交渉というものがどのような背景の下に行なわれたかを語っているということです。密約がどうして生まれてきたかを語っている。
 返還交渉は日本側が申し入れて1969年のサンクレメンテの佐藤─ニクソン共同新聞発表に向かって進行するわけですが、当時はベトナム戦争の最中ですね。アメリカは現在も財政収支が空前の赤字といわれますが、当時の赤字も深刻だった。
 その時に、タイミングがいいのか悪いのか、佐藤栄作首相が自分の在職中に、戦後外交を記念するような金字塔を打ち立てたいという野望を抱いた。彼は徹底した中国忌避論、明確な親台派で、国連の中国代表権問題でも重要事項指定方式で徹底的に台湾を擁護して、最後に破れるという事実が示すように、日中国交正常化は全くやる気がない。そして日韓交渉は事実上池田内閣の功績で自分は判をおしただけということで、沖縄に目をつけた。在職中にといえば71年か72年か、2〜3年以内に全部完結しなければいけないという条件を背負って、アメリカ側に申し入れたということなのです。
 すでに当時沖縄では「復帰協」を中心にして、激しい復帰運動が起こっていましたから、アメリカは得たりや応ですね。沖縄の米軍基地は、戦後25年間かかって銃剣とブルドーザーでつくり上げた海外における最大の基地ですから、これを何とかうまく維持していくというのがペンタゴンの絶対的な原則です。沖縄での反基地・反米感情の高まりが民族主義的なものになりつつある事態に対し、これを沈静化して米軍の基地を維持するためには、施政権を返還すべきであるという結論に達したということが2002年に出た外交機密文書の冒頭にあります。逆説的なようですが、それがアメリカ側の判断です。
 もう1点は、当時、ベトナム戦争を抱えて財政難に陥っていたアメリカに対して、日本は超高度経済成長の時代で、国際収支はどんどんよくなっている時代です。それを睨んで、施政権を返還すれば名実共に日本の領土になるのですから、米軍施設に限らず、莫大な維持経費問題もこの際一挙に解決し、日本に肩代わりさせることができるという判断があった。
 そして日本側には時限目標がありますから、アメリカの要求をのまざるを得ないのです。しかし海外における最大の軍事基地を日本の領土に抱え込むわけですから、当然いろいろな摩擦が生じてくるし、同時にアメリカ側の財政上の要求をストレートに国内に流したら相当大きな反発があるでしょう。そうなれば自分の任期内に金字塔を打ち立てることができるのかが非常に危うくなる。そこで吉野氏の証言にあるように、佐藤─ニクソンの共同声明の前後、無償返還を激烈に宣伝したわけです。「核抜き本土並み」という大キャッチフレーズを柱にして、もう1本の柱が「ただで返ってくる」、無償だということ。国内向けのプロパガンダですね。これを称して吉野氏は「美化」という言葉を使っています。
 当時は佐藤総理大臣に対し、外務省は愛知揆一外務大臣。これは佐藤派のまさに重臣です。大蔵省は福田赳夫大蔵大臣。福田氏はポスト佐藤の最有力候補で、佐藤氏に迎合しながら次期政権を狙うというポジションにありましたから、総理にとっては思うがままに操れる存在です。交渉の実務はカネの問題と基地の問題が両輪になるわけですが、財務については大蔵省が交渉をしてまとめてきたものを、外務省のアメリカ局、条約局が条文化するという形です。佐藤─福田ラインの絶対命令が下るわけですね。

嘘の悪循環

 西山 ところが、無償を考えていたのに交渉のふたを開けてみたら、想像だにしないようなすさまじい財政上の要求が出てきた。吉野氏は驚愕したと証言していますね。まず大蔵省から3億2000万ドル支出という問題が出てきた。あの日韓正常化が、無償3億ドル、有償2億ドルで妥結したことを考えれば、この金額は当時としてはたいへんなものだった。しかもこれは各項目を積み上げ計算したのではなく、包括で、要するに掴み金だったと言っています。さらに、アメリカの海外放送であるVOA(ボイス・オブ・アメリカ)を日本の領土外に出す必要があり、その移転費が加わる。しかし本来それは、地位協定上の原則に即して一切アメリカ側が負担すべきものだったわけです。米軍用地復元補償費も従来アメリカが払ってきた。ところがある時点以降日本側の負担になってくるのです。
 アメリカは佐藤内閣の足下を見ていますから、徹底的にやってくるのは外交交渉としては当たり前です。しかも外務省ではなくて実質は大蔵省が決めるわけですから外務省が国内向けに流していた「無償返還」というキャッチフレーズとあまりにも違ってしまう。吉野証言の核心は、全部嘘をつかざるを得なくなったことの起点を語っているということです。
 「密約」には、政治責任と法律上の責任の2つの問題がある。政治上の責任というのはまず「核抜き本土並み」という嘘、それから「都市部における基地の削減」という嘘です。吉野氏は、「とにかく返還してもらうのが先決だから、基地について実質的な話はしなかった」と言う。にもかかわらず「基地返還リスト」を出してカモフラージュしたのです。
 しかし、カネについては税金で処理するわけですから、国会を通さなければいけないので、法律上の責任が発生します。これは違法秘密ですね。条約化する段階で協定に嘘を書くということは、完全に違法だということを吉野氏も知っているだけに、ますます嘘をつかなければいけないという悪循環に入っていくわけです。
 非常に印象的なのは、「とにかく協定を批准させればそれでいい。あとは野となれ山となれ、という気持だった」という言葉です。それはその通りだったでしょう。つまりツケがあるということです。その後のさまざまな形での日米安保体制の変質、アメリカの要求にひたすら従う日本、財政負担は雪だるまのようにふくらんでいくといった姿の原点があそこにある。今日の日本の一つの大きな路線を敷いたと思います。

戦後日本外交史の悲劇

 田島 突発的に密約が生まれたのではなくて、日米関係固有の状況の中で、必然的に密約という形をとらざるを得なかったということですね。アメリカは金をびた一文出したくないし、日本は対米請求権の放棄などという屈辱的なことは表立って言えなかったわけです。そこで、条約と密約の二本立てに。

 西山 請求権について言えば、沖縄に返される土地の原状回復費はたかが400万ドルといっても、国際法上規定されている、日本によるアメリカに対する唯一の請求権なんです。これが交渉のほんとうに最後までもめ抜いたのは、金額の多少ではなく「権利」の性質に関する最重要課題だったからです。それで一文も払っていないのに「アメリカの自発的支払い」という「アピアランス(見せかけ)」(極秘電信文)が協定に盛り込まれた。
 2000年に朝日新聞と我部政明琉球大学教授がみつけた外交機密文書の中の、吉野─スナイダー駐日米公使の不公表書簡には吉野氏の署名が入っている。それが報じられると、吉野氏は署名は自分のものと認めたのですが、今回の証言で、「署名まで認めてしまった、ここまで追い込まれてしまって嘘をつくわけにいかない」と述懐しています。
 返還協定第4条3項の「自発的支払い」の嘘が、協定の第7条の「アメリカ側が残す資産などを買い取るための総額3億2000万ドル」にも連動していきます。協定の虚偽表示ですから、完全に憲法秩序の根幹に触れる。私の事件に関する最高裁判決が言う、「双方に秘匿すべき事情があったであろうが、やがて国会において批判検討されるべきものであるから憲法秩序の根幹に触れるような違憲秘密ではない」というのは初歩的な誤判です。そもそも国会の審議を回避するために条約に嘘を書いて国会をだましたのですからね。
 3億2000万ドルが最初に決まった上で、その中に原状回復費400万ドルが含まれるならまだいい。しかし掴み金の3億ドルにVOA移設費、さらに軍用地復元補償の肩代わりを追加していってようやくアメリカは納得した。肩代わりの完遂です。
 沖縄返還は大問題なのだから、その程度条約に嘘を書いたってかまわないじゃないかという意見もあるでしょうが、私は、沖縄返還交渉をスムーズに妥結させるために日本側が負担した」とある段階で明らかにして何が悪いか、と思うのです。そうすれば3億ドルに積み上げていくこともなかったはずです。あの400万ドルは象徴的であって、返還の全体の構図がすべて「アピアランス」なんです。そしてそれが結局国民の判断をミスリードしていった。
 沖縄返還には二重の性格があります。1つは沖縄の祖国復帰であり、素晴らしい出来事ですね。しかしもう1つの問題は、沖縄にある全世界を睨んだアメリカの巨大基地であり、それが日本の領土内に返ってくるときに、日本はどう対応していくべきかということです。これは日本の戦後の国際政治における最大のテーマであったはずです。であれば沖縄問題については真実を国民に伝達して、正確な判断を求めていかなければいけないはずです。
 ところが全部が虚像なのです。そして佐藤総理はその後の総選挙で「核抜き本土並み」をキャッチフレーズにして大勝するでしょう。後にはノーベル平和賞までもらうわけです。これは戦後日本外交史の決定的な悲劇です。
 そして、私はあの交渉の過程で最高の秘密は、6500万ドルの米軍施設改良工事費を決めて、それを公表しないまま実行に移したことだと考えています。
 3億2000万ドルについても虚偽表示ですが、6500万ドル問題はさらに重要なので、吉野氏も憶えていないはずがないのに、さすがに発言は避けていますね。円─ドル交換で米側に1億ドル以上の便宜供与を与えた密約は認めても、この6500万ドルはなるべく言及しないようにするという態度がうかがえます。

 田島 現在の「おもいやり予算」ですね。

 西山 米軍施設改良工事費としての6500万ドルというのは、私が入手した電信文にも、2000年のアメリカの外交機密文書にも全部出てきます。国会の承認を求めないということは、日米地位協定上の完全な違反だけでなく憲法にも違反します。米軍施設の提供だけだったものが、結局改良、移転も日本がやるというアメリカの要求をのんだわけです。
 さらに、返還の前に那覇空港を移設しなければならなくなったのですが、それも日本側が負担することになった(米外交機密文書)。返還の前にやらなければいけないとなったら、緊急ですから国会の承認を待てない。これも隠さざるを得なくなったわけです。
 そしてとうとう6500万ドル、その当時で言えば2百数十億円の金を使って、米軍施設改良工事費として、地位協定の枠を踏み出した。これが78年に始まる「思いやり予算」─在日米軍の駐留経費における日本側の負担のうち、地位協定の枠を超えた特別協定によるもの─の前提になっているわけです。
 思いやり予算は62億円でスタートしたけれども、2004年度は2440億円ですよ。こんなことは世界に例がない。やはり同盟国のドイツや韓国と比べても天と地の違いですよ。施設区域の提供費とあわせて、現在日本は在日米軍総経費の75%を負担しています。いま論議されているグローバルな米軍再編でも、キーポイントは日本です。アメリカが日本を放すわけがない。
 その導火線があの6500万ドルにあるんです。金額は少ないけれども最大の密約なのです。

沖縄問題は沖縄の問題ではない

 田島 密約がたちが悪いのは、密約はないという建前になっているわけなので、第三者が何も検証できないことです。円と交換したドルの無利子預託の密約のように、その密約で定めた内容すらもおそらく守られていない可能性が強いのにチェックができない。情報公開を請求しても、「そんな約束は存在しない」と言って一切情報を出さない。

 西山 納税者が主権者で、その主権者を代表するのが国会ですから、何百億という莫大な税金をアメリカに渡して、それを全部隠すというのは当時で言えば、納税者に対する完全な詐取です。
 違法認識はそこから発している。だから嘘をつくのです。吉野氏は徹底的に嘘をついた、と証言していますね。私が逮捕された時に2回警察に呼ばれたそうですが、「これは機密漏洩だから訊きましょう。国家機密であるかどうか、あなたはどう見ますか?」と訊かれた時に、「外交交渉の中味を公にすることは絶対にできない。だから、今後我々は国会でも全部嘘をついていく」と言っているのです。刑事はそれに対して「ああ、そうですか」で終わって告発も捜査もしない。いまは粉飾決算ですぐ逮捕されているでしょう。有価証券報告書に嘘を書いて逮捕されるのだったら、最高の憲法的規範に触れるような粉飾決算をして、条約に虚偽表示をして、何も問題にされないで今日に至るとはどういうことでしょうか。

 田島 西山さんが暴いた400万ドルは、たしかに額はそんなに多くはないけれど、沖縄協定における日米のすべての密約=嘘が凝縮されている。「核抜き本土並み」もそうですね。西山さんはその嘘の一つを記事にし、情報提供を受けた横路さんも国会で追及して、本来国民に伝えるべき真実の一端を明らかにしました。
 いまから思うと、警察・検察及び政府がなぜ西山さんらを逮捕し、起訴したかというと、西山さんらの追及が、嘘で塗り固められた沖縄協定の真実が暴露される突破口になることを恐れたんですね。

 西山 それは担当検事が朝日新聞の質問に対して答えていますよ。「普通なら立ち入るべき領域ではないものをあえてやったのは、世間があまりにも密約、密約と騒ぐからだ」という証言と、吉野氏が今度の証言で、「とにかくどうしようかなと思って苦境に立った時に、西山記者に対する起訴状で世の中の流れが一挙に変わった。本当に助かった」と言っています。彼らの犯罪が権力によって保護されたということなんです。
 私は、自分のやったことに対する批判を回避しようとは思っていない。しかし、第一審の判決と同じく、法律上の問題は何もないというのが私の考え方です。そして私は社会及び国家に対して損害は与えていない。むしろ私は社会及び国家に貢献しました。その上で、個人の自己責任にかかわる問題はあると思っています。
 私の事件には、取材論と秘密の漏洩という2つの構成要件があるのです。国家公務員法の守秘義務という誰も想定したことのないものを適用してきたわけですが、私に刑法上の問題がないにしても、取材論としては1つの問題が出るでしょう。
 もう一方の、そして最大の問題は機密の漏洩ですから、それが実質的に保護に値する秘密かどうかが重要になる。保護に値しない秘密どころか、国家社会に対して損害を与えている秘密、いわゆる違法秘密であれば、この事件はもともと構成要件がないことになる。
 ところが、この2つの要件のうち1つを刑法的にどんどん宣伝していって、肝心かなめの保護に値しない秘密をいかにも保護に値するような秘密であるかのようにカモフラージュして、実質を全部外しながら、大衆の目を逸らして、裁判を1つの方向へ誘導していく。こういう組織的なやり方が問題なんです。それを客観的、公正に判断せよ、というのが今回の提訴の直接的な理由なのです。この保護に値しない秘密、つまり、国家権力による組織的な犯罪があったかについては、2回にわたるアメリカの外交機密文書の公開で十二分に証明されています。というよりその前に電信文でも十分に承認されているのですが、判決も世間も全然動かなかった。権力は「ない」「ない」と言っているだけです。
 組織犯罪を隠蔽することによって行なわれた、偏った裁判が依然として有効である環境は、変わらないのか。提訴することで、もう一度この問題に関心を引き寄せて、真実の追及というマスメディアの原点を甦らせたい。提訴は私にとっては手法を変えたジャーナリズムです。私が「生き恥」をさらすことを恐れて提訴をやめれば、三十数年前のメディアがたどったように、再び権力犯罪を容認し、権力から見下されてしまうのです。
 結果は、沖縄と北海道を軸に反応が上がり始めて、予想外の波及効果が出てきている。北海道新聞の記者のすさまじい追及力が導火線となって、多くの記者たちが吉野氏に向かって殺到したわけです。
 吉野元局長の証言の中で、もう1点私が印象深いのは、現在の沖縄が直面している問題についてです。彼は沖縄返還交渉の主役で、当時のあらゆる問題を掌握していますから、それを軸に沖縄をめぐるその後の変化をずっと見つめてきたのでしょう。「アメリカはいまも基地を自由に使用している、これは占領と同じ状態だ」と吉野氏は言っています。彼は沖縄の現状を占領の残滓としてとらえているんですね。
 さらに彼は、「憲法9条のある日本が米軍を応援し、日本で米軍が自由に行動している問題についても考えてほしい」と言っています。沖縄問題は沖縄の問題ではないのです。日本の外交安保は沖縄返還を基軸にして本格的に動き出したのです。

日本政府の説明責任

 西山 アメリカは25年経って、沖縄返還交渉の隅から隅まで全部開示した。黒塗り箇所が2〜3行あるだけで、その下には、「核の査察については日本側は断念してくれた」と書いてある。ということは、核については何もわからないということです。それにもかかわらず、日本は依然として日韓交渉も含めて全部隠し通している。
 こんな秘密主義を通り越した、外務省の機構内だけの慣習を国家社会全体に適用しようとしているのです。こういういびつな体質に対しては、徹底した批判がされてしかるべきなのに、不思議なことに、この国は何も起こらない。それ自体が異常です。

 田島 沖縄返還協定という正真正銘の条約があるにもかかわらず、その条約の文言に真正面から反する取り決めを政府が勝手にアメリカと結んだ。これは重大なことです。法的な責任もさることながら、政治的責任、つまり国会や国民に嘘をついて国の政治を動かす政権が、果たして統治する資格があるのかという、民主主義の根本が問われなければいけないはずですね。吉野証言が出るに及んでも、政府は密約はないとしらをきり続けている。この国はいったい…。

 西山 アメリカやイギリスで、政府が嘘をついた際によく言われる、「このような政府から国を守らなくてはならない」ということなのです。
 事ここに至って、まだこの政府は嘘八百を言っている。吉野氏は沖縄返還交渉時のアメリカ局長です。彼は交渉そのものなんです。いま現役の外務省の官僚は、沖縄返還の「へ」の字も知らない。ましてや政治家は知っているわけがない。何を根拠に吉野氏の証言に「NO」と言うのでしょうか。
 国会議員が吉野証言について質問趣意書を出したら、それはもう検証する必要なし、と回答した。「いままで通り嘘をついていきますから、どうぞよろしく」という閣議決定をしたわけです。これは重大な政治犯罪ですよ。
 アメリカの発表した外交機密文書に加えて、吉野証言と、交渉の主体が密約を認めているのです。日本政府がこれを否定するならば説明責任が発生します。吉野証言を否定する詳しい反証を挙げなければいけない。何も挙げないで「NO」と言うなら、嘘と同じです。
 私は裁判の中で吉野証言も証拠として申請しました。何度も言っていますが、日本においては、もはや追及する場が最終的にはこれしかないのです。結局、検察や警察は、国家の歯車の中の一構成要素に過ぎない。だから単独犯だったら社会正義を振りかざして追及するけれど、首相官邸を頂点としたピラミッド型の整理された組織犯罪になってくると、全くだめなのです。
 時効という問題もありますから、裁判については楽観できないけれど、吉野氏は当時の私を有罪とした裁判の検察側証人2人のうちの1人で、存命する唯一の証人です。その証言を全く無視することはできないでしょう。
 もう1つ重要なのは、吉野氏は、密約問題に限らず、日本の外交のあり方、そして日本の現在の外交安保に対する一般大衆の受けとめ方についての問題を提起したということです。この証言は、広く一般の人々もよく吟味すべき、非常に貴重な、そして衝撃的な外交資料なのです。

 田島 西山さんの三十数年前の事件の時に、メディアは「知る権利」のキャンペーンを行いましたね。その後問題が男女問題や取材方法に矮小化されてしまいましたが、情報公開の基盤になる「知る権利」を社会的に認知させる上で、非常に大きな意味をもった。
 しかし、官僚というのはただでは起きない(笑)情報公開制度自体の導入が避けられないとみるや、官僚の裁量で外交などに関する情報を広く「不開示」と出来る条項を設けることにより、制度を骨抜きにする装置を考え、まさに譲歩の形をとりながら実を取るのです。現に、情報公開制度にのっとって、今回の密約をいくら請求しても「不存在」や「不開示」として出さないと思います。
 そこで可能性をもつのが、やはりジャーナリズムだと思うのです。情報公開制度でも出ない情報をもぎ取ってくる。向こうが言ったこと、発表した情報、提供した事実だけ取材して報道する、というのでは本来のジャーナリズムの役割は全く果たせない。

 西山 権力側には永久秘密と、やがて発表される秘密の2つがあって、やがて発表される秘密というのは、その時点ではたしかに秘密なのですが、外交問題でも何でも、そのプロセスでいくら報道しても問題にならないでしょう。しかし、ジャーナリズムにとって最大のテーマは、違法性の高い永久秘密の方なのです。極言すれば、永久秘密だけが秘密なんです。これは、日本社会の体質では、絶対に内部からの告発では出てこない。下からの突き上げが弱くて、同時に、政官財癒着の日本独特の権力構造は巨大かつ強固ですから。そういう永久秘密は、まだゴロゴロしていると思いますよ。それを明らかにするのは、ジャーナリズムからのアタックしかないんです。その結果起こってくる問題については、司法の判断に委ねる以外にない。しかし司法は国家機密の問題については極めて権力寄りですから、あまり期待はできませんが。しかし、それを最初から予定調和的に考えて、自分の行動を規制するということは、日本のような社会においてはまちがいなく民主主義の衰退につながります。

アメリカにとっての沖縄、日本とは

 西山 沖縄返還に関連して改めて思うのは、沖縄の施政権が返還されたあと、冷戦構造が崩壊しましたね。それによって日本を取り巻く国際政治、経済構造、軍事構造が変わりました。その時に、国際政治における日本の外交方針について、日米一辺倒ではなく、いろいろな形で多極化を射程に置いて考え直すチャンスが出てきたわけです。一方、逆にアメリカはどうかと言えば、超大国として国際社会に君臨し、一極集中状態になった。
 冷戦構造においては、沖縄はアメリカの戦略上それほど重要でなかったという証言があるのです。冷戦構造においては大陸間弾道弾による核抑止、原子力潜水艦からの中距離弾道弾による核抑止が中心だった。
 しかし、冷戦後のアメリカは、世界の警察官として覇権を維持していくという、産軍共同体をバックにしたアメリカ資本主義の使命を帯びる。だから世界各地の民族紛争や反米運動、そのかね合いから沖縄の戦略的意義を見直して、沖縄返還の原点にある強い要請は衰えることなく、逆にエスカレートしてきた。
 それが日米安保共同宣言、新ガイドライン、周辺事態法─といったように、日本は段階的に引きずられていく。そしていま米軍再編が行なわれているのです。「テロの脅威」を設定して日米軍事一体化がどんどんエスカレートしている。日米安保が画期的に変質する、非常に重要な時なのです。ローレス米国防副次官は、朝日新聞との会見で、米軍再編について「沖縄返還以降、最大規模の同盟変革となる」と語っています。
 そうした状況で、いま日本のメディアは何を言っているかというと、政府がよりどころとする「抑止力の維持」と「地元の負担軽減」という二本柱です。大局的見地からの論議というのはほとんどない。ローレス次官の言う「同盟の変革」が日本にとって、世界にとってどんな意義があるのか、この変革で果たしてテロは減少するのか、こうした本質的な論議がなされていない。そして、いまアメリカはまたイラク戦争によって、史上最高の財政赤字を抱えている。世界中でアメリカに財政的に協力するのは日本だけです。
 つまり、私はずっと沖縄返還時の情報操作を問題にしているけれども、あれを原点にして現在の日米軍事共同体があるということです。歴史は繰り返すで、いま重要な時期にかかっているのに、それに対する反応は全く鈍い。権力による情報操作と外交安保に対する国民の無関心、そしてそれを背景にしたメディアの無気力、この構造は沖縄返還の時と同じなんです。
 アメリカは新たな脅威としてのテロの問題を最重点に置いて、地理的に財政的にもいちばん便利な日本を最大限に使う。そして、「設計図」のないテロ対策に日本を引きずり込んでいくという作戦を取りながら、一方では、イランとイラクの問題が深刻だから、その重圧を何とか緩和するためにインドに急接近し、中国とは「利害調整」(ステークホルダー)を始めているわけでしょう。「ディプロマティック・トランスフォーメーション」、外交再編ですね。米軍再編というのは日本に対してのもので、居づらいドイツや韓国からは撤収の方向です。逆に日本には、国内移設するだけで、全体としては集中効率化でしょう。グアムへの移設に1兆円近い金を出させようとしているが、それも辺野古の半永久的な新基地建設とパッケージされている。
 なさけなかったのは「アメリカとうまくいけばアジアはついてくる」という総理大臣の言葉ですね。実際は逆で、日本がアジアとの友好関係を構築し、中国に対してもインドに対しても、東南アジア、ASEANに対しても、発言力をもっておれば、逆にアメリカがついてくるでしょう。日本にとっていま必要なのは、アメリカ同様外交再編です。
 外交も含めた大きな構図の中で米軍再編問題を論じなければいけないのに、いま問題にされているのは全くテクニカルな、局地的な軍事力だけです。

 田島 そこで、ジャーナリズムがどう問題提起するか。

 西山 ジャーナリズムが提起しなければどこからも出てこないのです。ましてや、今度の米軍再編はトータル・パッケージとして防衛官僚主導で行なわれたから、ますます軍事技術論や軍事同盟論ばかりが先行する。防衛施設庁の談合は、日本に産軍共同体的なものができている証拠です。それが何十年間も続いていたということは、シビリアン・コントロールが十全に機能していないということなのです。同時にジャーナリズムの監視力の弱さをも物語っています。歴代の防衛庁長官は、実は防衛官僚の使い走りをしていたようなものです。

メディアの機能不全をどう克服するか

 田島 なぜメディアは機能しないのか。本来の役割を発揮できないのか。もちろん複合的な要因があるとは思いますが、とうして無気力に陥っているのか。

 西山 大前提としては、市民意識の欠如した日本の有権者が国際政治や外交の問題に無関心で、大きな流れ、惰性の中に埋没してしまっているという土壌があることです。メディア以外にそれを掘り起こす役割は担えない。しかし、一種の相関関係で、そういう土壌にメディアは引きずられて、自立した報道をしなくなる。いま、政治の芸能化・劇場化が顕著ですね。それに迎合すると下方硬直で、どんどん引きずられていくままでしょう。この芸能化、劇場化を特にサポートしているのがテレビです。
 そうした土壌の上に、巨大な、いびつな権力が成り立っている。日米の複合権力にとって、もはや右よりの民主党は痛くもかゆくもない。だからますます肥大化するし、ますます隠蔽化していくでしょう。
 こうした状況を打ち破るといっても、会社組織として機能するという以前に、まず1人1人の新聞記者や少壮のテレビのディレクターといった個人が目覚めて活動を起こすということしかないでしょうね。ぼくは、組織から離れて何とかして行動していこうとしている何人かの人を知っていますが、少なくともそれが要請されるべきだと思います。非常に危機的な状況です。

 田島 本来のジャーナリズムの役割を果たすためには、報道の独立や権力との緊張関係をもたなければいけないのですが、たとえばNHKは個々の番組について政治家に事前に説明するのが通常業務と言い放つ始末だし、民放も含め放送メディアは有事における政府の指定公共機関にもさしたる抵抗なく入ってしまう。
 また新聞メディアでさえ、サマワの自衛隊取材につき検閲を含む取材ルールを平気で防衛庁と結んでしまう有様です。
 しかし、私が希望を見いだすのは、西山さんも言われたように、今回の提訴を機に、かつての事件、そしていまの日本の状況を考えてみようと、多くのジャーナリストたちが今回の裁判に関心を抱き、私たちが立ち上げた「沖縄密約訴訟を考える会」(連絡先は、上智大学文学部新聞学科・田島泰彦研究室/TEL・FAX03−3238−3628)に参画してきたんですね。

 西山 全体的に、「水準」というものを感じるんです。たとえば、いま「密約」に関して内閣が言う、「ありません」「ありません」というのを見ていると、これがこの国の民主主義の水準か、と。メディアも権力にそう言われれば「はい、そうでございますか」と言ってすぐ引き下がる。これはもう、すぐ変えられるようなものではないですね。構造的な、きわめて後進的なものです。
 しかし、今回の吉野証言をめぐるスクープは、権力とメディアの関係が、いまの日本にとってどうあるべきか、そして我々はそれに対してどういう対応をしていかなくてはいけないかという、基本的な命題を問いかけているのではないでしょうか。まさにこれまで経験したことのないような、生きた教材と言えるでしょう。

 田島 問題提起という意味で、西山さんの今回の提訴というのは、極めて重要な意味をもち、大きくかつ深い波紋をメディアを含め各方面に広げつつあると言えると思います。
 最後に、今回の裁判との関わりで付言すると、密約は公務員法で守るペき秘密ではまったくありませんので、西山さんのかつての取材が何の違法性もないことは疑いの余地がありません。起訴も有罪判決も誤っていたことは明らかですから、国が責任を問われるのは、もとより当然です。

■西山太吉さんの講演要旨A(2006/1/22 那覇市内 「密約」と米軍再編について考えるシンポジウム)
抑止力とは何か =米軍再編を問う= 西山太吉
 今回の米軍再編は、米軍の世界的な軍事戦略体系の再編成に基づき、在日米軍基地機能の集中効率化による即応力の向上と、日米軍事力の一体化を目指して推進されようとしている。これに対し、日本政府は修正意見を述べることなく、むしろ積極的協力の姿勢を示し、一体化についてはこれまでの拡充路線からさらに大きく踏み出した、まさしく転機を画するような体系をつくりだそうとしている。そして、この問題を正当化する唯一の根拠は、なにかといえば、やはりこれまでの手法そのままの「抑止力の維持」の一点につきる。
日本のマス・メディアの大勢は、在日米軍の機能強化にともなうリロケーション(再配置)についての各自治体及び住民の反応を中心とした「局地的」問題の報道を繰返すだけで、「抑止力の維持」の内容がどんなものであるか、そのような名分だけで日米軍事力の一体化、即ち、米軍に対する自衛隊の“下請化”、“部品化”(毎日新聞)が容認されてよいのか─という、根源的テーマへの論及は、ほとんどなされていないのである。
 この抽象的なキャッチ・フレーズが安易に乱用されることについて警告を発しているメディアを私は、まだみていないし、聞いてもいない。
 “抑止力”なる概念は、戦後の米・ソを対極とした冷戦体制下の“力の均衡論”あるいは“恐怖の均衡論”に端を発し、やがて国際政治力学上の用語として定着した。この冷戦体制は、いまから十数年前の旧ソ連邦の解体によって崩壊したが、それによって、国際政治面では、世界各国の競争的共存、国家内の民族対立、民族の独立戦争を生み出し、さらに米国が唯一の超大国として登場して、その存在を誇示し、ついで将来の超大国としての中国の台頭、それにつぐ大国としての条件を備えるインドの急成長など、まさに革命的ともいえる構造変化をもたらした。
 しかしながら、こうした構造変化にもかかわらず、日本の保守政権と外務、防衛官僚は占領の残しとしての対米協調(というよりは、従属といってもよい)路線を踏襲するだけで国際政治における行動の指針としての新座標軸の創造に向けての模索と追求を怠った。
それどころか、日米関係は、日米安保共同宣言、日米新ガイドライン、周辺事態法などの一連の措置によって、軍事面だけの一体化が突出し、これと並行して、日本側による在日米軍に対する財政支援も、1978年に特別協定として発足した“思いやり予算”が、当初の年間78億円から、いまや30倍の2400億弱にまで膨張したことからもうかがえるように、主権国家としての自制は一体どこに働いているのかを疑わせるような事態を招いているのである。これにより日米安保の防衛的性格は大きく後退し、日本は米国の世界的軍事戦略の中に組み込まれることになった。沖縄返還時に、一連の虚像によってカモフラージュされた米側の二大方針、即ち、米軍基地の自由使用と基地維持経費の日本による肩代わりは30年以上経過した現在、その全ぼうをあらわにしたといえよう。
 米軍再編は、こうした巨大な流れの集大成であり、完結である。ポスト冷戦体制の一つの特徴は先述のように、ボスニア紛争やチェチェン紛争にみられるように、国家内の民族対立や民族の独立解放闘争を促した。しかし、反面、既成の国家間の対立関係は双方の話し合いと妥協により、脱イデオロギー色を強め、共存化への方向へ向かっている。中国とインド、中国とロシアの国境問題は、すでに解決し、カシミール地方の帰属を巡って一時は、一触即発の状態にあった、インドとパキスタンの関係でさえ、ねばり強い交渉により事態の収拾に向かいつつある。さらに、EC(欧州共同体)の東欧、旧ソ連圏への大幅な拡大が進み、一方、アジアに目を向ければASEAN(東南アジア諸国連合)の提唱により、中、日、韓のプラス3、さらにはインド、オーストラリア、ニュージーランドをも加えた東アジア共同体構想が動き出した。こうして、「戦争から平和」への転換をめざす人類の精力的
な努力が傾注されつつあることもまた、厳然たる事実である。西側陣営にあって、戦後の国際政治学会をリードした英国のE・H・カー教授が強調するその時代特有の時代精神なるものに沿って流れはじめたこうした世界の新潮流をあえてせき止め、逆転させようとするものがあれば、それは、全世界の国家の英知とエネルギーを結集して阻止し、正常に引き戻さなくてはならないはずである。
 では、その逆流とは何か。その最たるものがパレスチナ問題を軸とした、一部キリスト教国とイスラム教諸国との対立であり、超大国米国の中東介入に対するイスラム圏諸国の主として民衆からの憎悪である。9・11事件の背景には、パレスチナ問題、米国とイスラエルの密接な関係、レバノン問題、サウジアラビアの米軍駐留などがあったが、米国はアフガン戦争に踏みとどまることなく、国連中心による平和的解決をめざす圧倒的な国際世論に背を向け、“ねつ造”された大義名分を振りかざしてイラクへ先制攻撃をしかけた。
その背景には、ネオコンサーバティズムに基づく一国至上主義とかつてアイゼンハウアー(元大統領)が警告した「産軍共同体」(チェイニー副大統領が関与)からの圧力、さらには、イラクの石油を支配下に置こうとする野望があった。
大量虐殺兵器の排除あるいは、テロ集団・アルカイダと関係をもつフセイン打倒などの大義名分が、いずれも間違っていたとの証拠を突きつけられた米国は、いまでは中東の民主化をめざす「逆ドミノ理論」(イラクの民主化を引き金に、中東全域をドミノ倒しのように民主化していく)を掲げて、戦争の名分化を再構築しようとしている。
 しかし、かつて米国がドミノ理論(ベトナムが共産化されれば、ドミノ倒しのように東南アジアは赤化する)をかざしてベトナム戦争をはじめて見事に失敗したように、この逆ドミノも中東独特の歴史的、社会的、経済的な諸条件にはばまれて恐らく米国の想うようにならないだろう。マッキーバーが指摘しているように、外国によるイデオロギーや制度の強制的(軍事力に基づいた)な“押し付げ’は、反発と抵抗を誘発して成功しないケースが多い。その間に払われる犠牲者の数は増加の一途をたどり、米国内の反戦運動にも拍車をかける恐れが多分にある。米国はイラクの民主化の実現のため、治安がイラク軍自体によって維持可能になるまで駐留を継続するというが、その米軍の駐留自体にイラク及び周辺諸国の民衆が反発するという絶対的な矛盾と悪循環を避けて通ることはできないだろう。現に、1月5日だけで自爆テロにより米兵11人を含む150人の犠牲者をだしている。
私が、この問題を強調するのは米軍の軍事戦略の重点がテロ対策に置かれ、いわゆる“安定の弧”となった欧州から、“不安定の弧”となった中東〜東南アジアへ、つまり、西から東へ即応力展開の場を移そうとしており、こんどの米軍再編も、こうした戦略上の重要な一環であるということからきている。しかし、テロの温床は、特定地区に集中していない。
最終的には、膨大な数のイスラム神学校の学生を予備軍として、中近東から東南アジア、果ては欧米先進国内に至るまで、国境を越えて分散し、しかも機脈相通じた連鎖的な行動を展開する。
 そして、この広範な地域の各主権国家は、例えば、パキスタン、タイ、インドネシア、フィリピンに見られるように、それぞれの治安力を行使して、懸命の対策に明け暮れているのだ。(いわば米軍がタネをまき、育て上げた毒草を各国が分担して刈り取っているようなものだ)。この厄介千万な敵に対しては、最新の電子兵器もあまり使えないし、核抑止力にいたっては、その威力をまったく発揮することができないのである。その刈り取りの場にテロの最大の標的である米軍が入っていくことを許す主権国家はまずないだろう。
 日米共同訓練中の米兵がテレビで「近い将来、インドネシアなどで日本の自衛隊と一緒に戦うことを楽しみにしている」といった暴言をはいていたか、こうした浅はかな認識はテロを拡大こそすれ、沈静化することにはならない。たとえ、米国が日本とくに沖縄を前線基地として対テロ即応力を展開しようとしても、それには行動上の限界があることを知るべきである。東南アジアには、マレーシアのマハティーニ元首相(マレーシアはASEANの指導者的存在でマハティーニは今でもかなりの影響力をもっている)のように、日本の小泉首相などとはチョット肌合いの違う人物がいて、米国の一国主義に対しては、誰はばかることなく異論をさしはさむ。彼は、日本のあまりにふがいない対米一辺倒ぶりをみて、それまでの親日からしだいに、中国、韓国への接近に切り換えた。日本が東南アジア各国に戦後、巨額の援助を実施し、米国が引き起こしたともいえる同地域の通貨危機の尻ぬぐ
いまでしたにもかかわらず、国連常任理事国への日本の参加を支持した国が一国もなかったという情けない状況は、日本への一種の失望感からきている。「日米が緊密になれはなるほどアジア諸国との関係もうまくいく」という小泉首相の発言は短絡過ぎるといってよい。
要するに、対テロ問題は、米国が軍事力を行使し、それを日本が懸命に後方支援したとしても、それだけで掃討することができるほど簡単なものではないということだ。この問題は、国際社会全体が国連なども使って、軍事力にとどまらず複合的な施策を樹立し、長期的視野に立って対処していくほかないということである。日本が今とっている軍事面での突出した対米協力は、むしろテロの標的になることはあっても、テロ絶滅につながる有効な方策にはつながらない。
 他方で米軍再編は北朝鮮及び中国などの“脅威”に対する抑止力の整備拡充にも狙いがあるといわれている。北朝鮮については、日本国内でも一時、国家主義的風潮に乗って「脅威論」が強調され、日米軍事力の一体化を正当化する有力な根拠とされていた。しかし、米国防総省とつながりのあるランド研究所の報告にもあるように、米国政府は、北朝鮮を中・長期的には脅威の対象とはならないと分析している。その国力(資源力を含む)、脱北者の激増、非宗教性、周囲を中国、韓国、ロシアなど国際社会の有力なメンバーに囲まれ、それらの国々から支援を受けている事情などから米国内の専門家の間では、北朝鮮に対してはイランなどとはまったく異なる見解が支配的である。現に、北朝鮮自体、超大国の米国からの主権国家としての認証をとりつけようと躍起になっているのだ。このような現状を“脅威”と断定する合理性はないので、右翼評論家の間でしきりに吹聴されてきた“脅威論”も、最近はやや勢いを欠いてきた。もちろん、北朝鮮の動向を見守る(watch)ことは必要であるが、肝心なことは徹底したデータ分析である、北朝鮮への強硬論だけでクローズ・アップされた未熟な人物を次期首相候補のNo.1にいつの間にか押し上げてしまった日本のマス・メディアには「一次方程式はとけるが、二次方程式以上になるとからしきダメ」といったように小泉首相を非難するだけの資格があるのか。はなはだ疑わしいといわねばなるまい。
 一方の“中国脅威論”は、昨今、政界の中心的人物の間でも、しきりに強調されるようになった。麻生外相も、日本政府の従来の見解を一歩踏み出した“脅威論”を表明し、前原民主党代表も、同様な見解を米国訪問時に述べて反響を呼んだ。中国の軍事予算が長年にわたって2けたの伸びを続け、その内容も不透明であるというのがその直接的な理由である。こうした軍事力の増強は、すでに自衛のための軍事力の範疇を超えて、他国への脅威つまり周辺への軍事的影響力ないし、支配力行使の潜在性をもつに至ったという認識である。しかし、中国の軍事力は未だに、現代の水準には達しておらず、なお、改良、改善の途上にあるという見方も強く、その地理的条件からみても、海外への攻撃力を具備するには、想像に絶するほどのコストがかかるという分析も報告されている。こうした軍事力の評価論とは別に中国については、より重要な研究課題がある。冷戦体制崩壊後、中国経済は改革開放政策の導入も手伝って、飛躍的な発展をとげ、まもなくフランス、英国を抜いて、世界4位に躍進し、ごく近い将来には第3位のドイツをも抜いて、第2位の日本に迫る観測がではじめている。こうした現状に応じて、ECは中国との関係強化を最重点に置き、日本への関心はかなり薄らいできているといわれる。石油生産力の急上昇をテコに、国際経済社会における発言力を高めてきたロシアも、中国市場の潜在力に着目して、その石油を優先的に供給しようとしている。超大国米国も中国との貿易は、拡大の一途をたどり、対中赤字が全体の赤字の3割に達するということは、すでに、双方の依存関係が切っても切れない関係に入ったということを如実に示している。中国人民銀行は、問題となっている「元」高を押さえるため、ドルを買い続け、昨年9月末の外貨準備は7700億ドルと、香港と合計すれば世界一に踊り出た。そして、その大部分は、米国債などドル資産で運用されているのだ。
 さらに、米中関係の場合、両国とも核保有の既得権を共有し、又、中国は、米国が忌み嫌うイスラム原理主義については無縁であるばかりか、国内において対イスラム政策をかかえているほどだ。さらに、歴史的にも双方は、対立関係よりは相互支援の関係のほうが、はるかに強い。以上の接点を考えると、米中間には双方の影響力行使の範囲をできるだけ極小化させようとする国際政治上の抑止機能が働くことはあるとしても、それ以上に共存と相互依存によるメリットの方が、はるかに大きいといわねばならない。米国務省も政策の重点を既成の同盟国から中国、インドなどの発展力の著しい国々に移し、そのためのスタッフの充実にも努めているといわれている。中国脅威論を述べるグループは、その軍事力の伸長だけをとらえて、誇大に宣伝するが、中国の前途には依然、困難な課題が山積している。
最近、内陸部の雲南省などでは、自動車生産の拡大にともなって天然ゴムの需要が急増し、地域住民の所得の向上につながっていると伝えられるが、それでもなお、全体的には、沿岸部と内陸部の所得格差は広がる傾向にある。又、石油を輸入に頼る中国経済が、やがては、成長の鈍化に直面するときがやってくることも確かである。急激な経済発展には、必ず付きまとう環境問題の大量発生についてもそれに対応できる技術力が不足しているため、外国とくに日本の協力を必要としている。
 先に発表された「中国の平和発展の道」が指摘しているように、中国は「世界最大の発展途上国」であり、したがってその発展とくに13億大衆の生活向上を達成するには「平和的な国際環境が必要」ということも、その宣伝性を考慮に入れてもなお、傾聴に価する“事実”である。このような時に、もし、日本が中国脅威論という一種の敵視政策に基づいて、日米軍事力の一体化にばかり傾斜していけば、どのような結果を招くのか。つまり、日本が米中相互の抑止的側面における“前線的役割”だけを担う結果は必要以上の緊張と摩擦を招くことになりかねない。米中関係と日中関係の歴史状況はまったく次元を異にする。米中は相互に牽制しながら同時に交渉できる関係にある。
 米国が、「一つの中国」政策をとりながら、一方では台湾関係法によって、台湾に防御的な兵器を供給し、中国も、又、それを黙認している現実に注目しなければならない。しかし、日本と中国は昨今の“歴史認識”問題にもみられるように長年にわたる侵略対被侵略の関係からくる重苦しい遺産をかかえており、米国の対中抑止力の一環として台湾問題などに巻き込まれることがあれば、それが中国におよぼす衝撃度は“靖国”の比ではないだろう。(現に、日本の町村前外相は、「台湾問題は日本と極東の安全に関係がある」と発言している)それにしても、世界の各国が、多様化に対応して多角的なネット・ワークの拡充に躍起となっている時に、実体的にはあまり説得性のない抑止力論という冷戦構造下に定着した概念だけを名分に二国間の軍事同盟の拡充にばかり走るその姿は、諸外国とくにアジア諸国から奇異な目でみられるだろう。
ロシアとウズべキスタンの軍事同盟調印という例はあるが、これなどは極めて例外的な出来事で、“第二のアフガン問題”を引き起こす懸念が生じている。
 中国は、いま東南アジアに限らずロシア、EC、中央アジア、インド、さらにアフリカ、中南米というように全世界を相手にした強力な親善外交を展開している。又、インドにしても米国との関係を強化しながらも一方では、米国の“敵対国”であるイランから天然ガスを輸入する準備を進めている。米国がインドに接近すればロシアも従来からの親密な関係維持のため各種の対抗策を打ち出す、といったように、既成の国家群は自国のナショナル・インタレストに立って、世界の全域にネットを張り巡らそうとしている。日本も、こうした世界の潮流を十分受け止めなければならない。米軍再編にともなう日本側の財政負担は、例えば普天間移転にとどまらず米海兵隊の一部(実戦部隊は沖縄に残る)のグアムへの移駐にまで及ぼうとしており、その額は恐らく数千億円に達するだろう。又、沖縄県が主張した普天間移転先の“15年期限”についても米側はこれを一蹴し、基地の永久固定化への固い決意をハツキリと打ち出した。これについて、日本政府が沖縄県をバックアップして米側に強く働きかけたという形跡はまったくない。ラムズフェルド米国防長官は、辺野古問題がなかなか決着しないことに腹を立て、日本への訪問予定を突如中止し北京に飛んだ。
 日米地位協定は世界でももっとも“治外法権”性の強い悪法であると指摘されて以来、かなりの年月が経つが、日本政府はその中の一項目にも手をつけようとしない。まさに“これが主権国家か”と叫びたくなるような出来事が相次いでいる。しかし、日本の有権者のこれら問題についての反応は“にぶい”の一言につきる。国際政治上の問題については、たとえそれが日本の命運にかかわるほどの問題でも日本国内の関心度は最低といってよい。
マスコミとくに、本土のマスコミにしても一時的には若干の報道をするが、本格的なキャンペーンはしようとしない。米国にとってはまことに好都合なことばかりで、それが日本への注文に拍車をかけるという悪循環をもたらしている。
 朝日新聞によると、2004年度の自衛隊による米軍支援(日米物品役務相互提供協定に基づく)件数は、前年比の3倍以上に達した。ミサイル防衛(MD)システムの次世代型迎撃ミサイルの日米共同開発も正式に決定され、2015年の開発終了に向けて動き出した。これに今回の米軍再編にともなう基地の共用化の推進、米軍団本部の日本への移駐、司令部の同居と指揮系統の統合(自衛隊は今年三月、統合幕僚監部をスタートさせ、米軍の共同統合運用調整所と連携を強化する)などが実現すれば、まさに一種の日米軍事共同体というもはや転換不可能といえるほど深化した構造ができあがる。そして、日本は国土防衛の域を超えて将来極めて一国的な軍事戦略にしだいに加担せざるを得ない事態に追い込まれていくだろう。それは、政府のいう“国際貢献”とはまったく異質のものであろう。
 日本には、唯一の被爆国という絶対的な体験がある。又、新エネルギー開発、省エネルギー面での抜群の技術力がある。これは新しい世界の最大の需要要因である。これを駆使し、各国との協力関係を拡充することが最も有効な抑止力であり、軍事力だけを抑止力ととらえる観念は、もはや、過去の遺物であるといわなければならない。
 かつてニクソン政権は、“台湾支持”で日本の佐藤政権と共同歩調をとりながら、ある日突如として訪中した。あのニクソンショックを今日改めて想起してみようではないか。すでに、米国内ではジャパン・パッシング(Japan passing)が流行語になりつつあるという。
日本にとって、米軍再編はどんなメリットがあるのか。それに積極的に協力することの意義とそれが国際的に及ぼす影響というものを日本自ら主体的に検証すれば、日本の負担軽減などという的はずれの結論はでないはずだ。その意味で、沖縄における辺野古への移設の行方は、日本の将来を左右するほどの重大性をはらんでいる。
2006/1/22 沖縄タイムス朝刊 26面 頁トップに戻る
■西山太吉さんの講演要旨@(2005/7/14、名古屋マスコミ夜塾の集会)
 沖縄密約(米軍用地復元補償の肩代わり問題)は単なる“裏取引”ではなく国会の承認案件である条約案に嘘を書いたという点で例のない国の組織犯罪であり、それは虚偽公文書の作成、行使、偽計業務妨害にとどまらず憲法にも違反する。このことは2000年、2002年に発見された米外交機密文書により追認された。
2  私の起訴に当たって国は以上の犯罪を隠蔽し、その犯罪を充分に証明できる被告側提出の証拠、すなわち極秘電文についても裁判で徹底的に偽証し犯罪性の立証妨害に出た。検察も電信文により国の組織犯罪の存在を十分に認知できたにもかかわらず、その隠蔽と問題の“すりかえ”に全力をあげた。起訴担当検事が「本来、起訴状には情状問題は触れないことになっているが、世間があまりに(密約で)騒ぐのであえて盛り込んだ」と語っていることからもうかがえる。
 高裁も最高裁もこうした立証妨害を利用して米軍用地復元補償問題の違憲性について誰が読んでもわかるようなまったく誤った判断を下した。
 さらに2000年、2002年の米外交機密文書発覚時において時の政府担当閣僚(官房長官、外務大臣など)は「密約はない」と嘘をつき組織犯罪の継続的再生産に自ら手を貸した。
3  上記問題は沖縄返還問題をめぐって張り巡らされた虚像網の一片に過ぎない。
 いわば氷山の一角である。
 “核抜き本土並み”“米軍基地の積極的な整理縮小”など、すべてごまかしのキャッチフレーズであり、また後に“思いやり予算”に発展する「米軍施設改良工事費」も返還をカネで買ったという印象を避けるため、さらに地位協定違反を指摘される恐れがあったため、これまた隠蔽された。日本のマスコミは戦前の大本営発表を思い出させるような手法でだまされ続けたのである。
4  米軍が沖縄返還に踏み切ったのは全方位戦略拠点の米軍基地をより安定的に維持できるという判断(2002年米機密文書の冒頭に明記)からで、この考え方はこれまで一貫して“自己貫徹”しており、その過程で憲法九条的感覚に基づいた沖縄住民の主張とは二律背反の関係にあった。しかし日本政府は冷戦構造の崩壊など国際政治、軍事構造の重大な変化にもかかわらず一方的に米側に追随してきた。その間、日米ガイドライン、周辺事態法など日米軍事同盟は一層強化され日米安保も変質していった。昨今の米軍再編問題も本質は日本への集中、効率化であり、沖縄の日本側負担の軽減など虚像を作って、実態をごまかそうとする動きがまたもや出てきている。
5  こうした米軍基地の永久固定化と治外法権化、そしてこれに並行して進行する日米軍事同盟の強化という異常事態が日本の国益および世界の平和と安定にどんな影響を及ぼすのか、この点を日本政府は真剣に取り上げていない。政府は単に「抑止力の維持」を強調して正当化しようとしているが果たしてそうなのか、「抑止力」の中身の検証が必要である。特に米中にはさまれた日本の外交のあり方が根源的に検討されねばならない。
 一方マスコミを含めた市民レベルでもこうした問題に対する関心度が比較的低く、まさに日本は21世紀に対処する座標軸(主体の確立)を設定することなく漂流を続けている。これは危機的状況といっても過言ではない。
6  国家権力なるものは立法、司法、行政の三権を越えて厳に存在するもので、国は組織犯罪防衛のためには司法を手段として使うことがしばしばある。かかる場合、昨今の国家主義、復古主義的風潮と米国のネオ・コンサーヴァティブズムに基づく単独行動主義への同調によって権力の集中化、排他性に拍車がかかっている。この際、市民の側からの権力に対する監視と抵抗精神が切に望まれるところである。 頁トップに戻る
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